2008年04月10日
チェコスロバキアの社会主義時代
本当にすごいことだったんですね。
携わったひと本当にすごいです。
ソビエト連邦によって占領されたチェコスロバキアではチェコスロバキア共産党の力が強まり、1948年のチェコスロバキア二月クーデターで社会主義政権が誕生した。クレメント・ゴットヴァルト大統領による独裁が強まると、チェコスロバキア共産党の下部にあるスロバキア共産党に分離主義への疑念がかけられ、1952年にはスラーンスキー裁判でスロバキア共産党の幹部が処刑された。これ自体は冤罪だったが、戦前と同様にチェコに対して劣勢な立場にあるスロバキア人は中央集権国家への不満が常にあった。また、戦後の混乱期にアメリカへ渡る亡命者もいた。
1968年、スロバキア出身者として初めて国家の最高指導者となったアレクサンデル・ドゥプチェクは、後にプラハの春と呼ばれる社会主義改革の一環として国家体制の変革に着手した。同年8月のワルシャワ条約機構軍(ソ連が中心)による軍事介入や、1969年4月のドゥプチェク失脚後もこの流れは続き、同年にグスターフ・フサーク政権により連邦制が導入されて、スロバキアはスロバキア社会主義共和国としてチェコと同格に扱われる共和国となった。スロバキア人の政治的権利は保障されたが、経済や文化では依然としてチェコに押される状況が続いた。
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